京都の古本屋・本屋・書店、世界文庫。 店主、古賀鈴鳴。

川喜田半泥子さんのこと。

きょうも新しい1日。

せんじつ、大阪へ。川喜田半泥子( かわきた はんでいし )の展示を観に。
仲の良い、京都の古道具屋さんの友達を誘って。
自分は、陶芸は、そんなには詳しくないのですが。
半泥子と、バーナード・リーチの作品は、昔から、何故か、「 他人ごとな気がしない 」と、勝手に思ったりしているんですね。




一緒に行った友達と。
あの器を買って毎朝カフェオレを飲みたい、あれはミニカレーを入れたら丁度いい美味しそう、あれにお味噌汁を入れて店で出そう、等々・・・その道の方たちに聞かれたら、怒られそうなことばかり、興奮ぎみに話しながら、観ていました( すごい楽しい )。

半泥子のは、いつも。
観ていると、欲しいなあ、あんな風に、こんな風に使いたいなあ、と思うんですよね。

較べるのもどうかと思いますが。例えば、ルーシー・リィーの展示を観に行っても、すごく好きだし、ほんとに技術とセンスがすごいなあとは思いますが。
器としては、もし持ってても、繊細すぎてこわくて日常使えないから、使うところを想像できない、と私は思ってしまうのです。
でも、さわりたいとか、使いたいと言ってくれるのが、器の作家としては、一番褒め言葉というか、うれしいんじゃないかな・・・と思ったりしているのです。

ほんとに素晴らしかったです。



一緒に行った友達が、「 というか、古賀さんが陶芸したら、こういうの作りそうですよね? なんか、古賀さんっぽいと思った 」と言うので。
「 うん。そうですね。だいたいここにあるのは、ぼくの作品といっても過言ではないですね。作ってないけど 」
・・・などと、随分、勝手なことを言ってました。

最初に観た時から。半泥子の描いてる絵や、書を観ても、まるで自分が描いたみたいだなあと思ってるんですよね。( すみません。。。 )



やっぱり、他人ごとな気がしないくらい、すきだったり、いいな、と思うのって。
そのひとの中に、自分を発見するとか、自分がいるような気がするとか。
なんか、そういうことなのかなあ、と思うんですよね。

そういうものに、人生の中で、出会うと・・・。
たまらないですよね。

そんなに、しょっちゅうあることではないけど、たまらない気持ちになります。
展覧会とかだったら、もう帰りたくない・・・と、思ってしまいます。



そんなこんなで。
陶芸もしないといけないですし。昨年くらいからそんな話もしていたのですが、いよいよ、お茶を習いに行ったりしないといけないね、と友達と盛り上がりました。

「 世界文庫 」の、ご近所には、あの、千利休の大徳寺もあるのですし。

半泥子も、いいお茶の師にめぐり会ったらしいので。
自分も、いまは、茶道のいい先生にめぐり会いたいなと思っています。

どなたか、いい方がいたら教えてくださいね。

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